托鉢パレードのことなど。
ルアンパバーンの町角ですっかり有名になった托鉢パレードはあの一部の場所が観光ポイント
なんかもしれんけど、托鉢そのものは町中どこでもまわてるみたいだ。
朝6時前くらいの時間であればどこでも遭遇することができる。
しかし、ここまで観光化するってどうなんやろ?
本来は修行の場、鉢と衣以外は何もなしにくらす修業の場やから托鉢をせんと食べられへん。
そういう暮らしを町の人達が信仰心を持って応援する。その応援そのものが功徳になって
信仰を支えるというものであったと思う。その上に、その修行僧の少年たちの殆どは
一度は僧籍に入るという義務のもとにある町の人たちの子供たちであるはずやから
我が子を応援する意味もあるのか、確かに前来た時は観光客も居たけど町の暮らしの
一部のようにも見えた。
しかし、もしかしたら今では、もうすでに托鉢しなくても十分修行暮らしは賄えるんかも
しれなくて観光用の意味しかなくなってるんかもしれん。
托鉢姿って見てたらなんとなく厳かな気分になる。清々しい。ええもんやなあって
思うけど、それは見る方の勝手な思い込みだけなんやろか?
日本でも、時々見かけるように、街角に立って一心不乱に読経してる姿をみると何か
心を打つものがあるけど、時としてインチキくさい読経すがたも見かけられるんで
仏教徒は何の関係もないただのたかりまがいも多いらしい。
今では全く見かけへんけど昔は托鉢(行乞)しながら日本全国をまわる坊さん、
あるいは乞食のような人がいたらしい。巡礼のような人たちも四国八十八ヶ所だけで
なくいろんなとこを巡礼する人がいたらしい。
例えば、山頭火の日記を読んでると毎日のように行乞、放浪の暮らしが出てきて、いろんな
出来事が生き生きと描かれていてとても興味深い。
例えば、
大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た。
分け入っても分け入っても青い山
炎天をいただいて乞い歩く
ホイトウとよばれる村のしぐれかな
風の中声はりあげて南無阿弥陀仏
鉄鉢の中へも霰
(岩波文庫 山頭火俳句集より)
この時代にはこういう人が沢山いたらしい。そして、アメや雑貨などを売り歩く
あるいは乞食をしてまわる、朝鮮人(当時)や中国人などの外国人も多く居たと
描かれている。
行乞してもなかなか成果がないときもあったり、貧しい暮らしのはずの老婆がなけなしの
お金を施してくれたり、それこそが仏教の本来であるということだったり、
やっと施してもらったわずかな金ですぐさま酒を買ってのんでしまったり、
安宿で同宿、同室したひとたちとの良いやり取り、嫌なやりとり。
どうにもならんのがおのれの性と思うしかなかったり。
放浪=貧乏=施し=生きる原点。
こういう世界に見を浸さんとええ芸術は生まれへんのやろか?
こういうことも今の日本では無くなってしまった。
どこの国でも、時の流れや生活の事情によって世相はどんどん変わっていくんやと思う。
いつまでもノスタルジーにふけっていてはあかんということなのだ。
例えばミャンマーの街角の陽気な少年僧たちの托鉢すがた。
とても微笑ましい。
終わったらこっそりご褒美もらってる。
厳かでもなんでもないけど、こんなんがええんではないか。原点なんではないか。
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ありがとうございました。