最近読んだ本、「ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活」、 「ルース・スレンチェスカ 九十四歳のピアニスト一音で語りかける」。

  • 2019年7月1日
  • 24人

國友公司、「ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活」

西成って聞くと心が騒ぐ、特に何か思い入れがあるとか、いい目や恐ろしい目に
あったとか、なんやらかんやらがあるわけではないんやけど、ディープとか
妖しいとかそういう言葉や雰囲気が好きで、そんなんを求めてアジアの街角を
旅したりしてるんで怖いもの見たさ半分で時々飲みに行ったりすると、今では
ごく普通で平凡なとこやんかと思ったりもするけど、いやいやときには、端倪すべからざる
キャラクターのご人たちがフワフワとただよっておられるのとすれ違ったたりする。
とても味わい深い界隈でも有る。
しかし、昔のことはよう知らん。もうはるかな昔になるけど入社当時、先輩から、わしらの
若い頃は飛田新地で居続けして、会社にでてきたこともあるんやでとか武勇伝を聞いても
何のことかようわからんかったけど、釜ヶ崎騒動で新聞テレビが賑やかになったこともあったけど
他人事やった。
それが有るとき、天王寺美術館あたりを歩いてたらえらい盛り上がってる。
テント暮らしの西成のおっちゃんおばちゃんたちがこんなとこまで進出してきて路上に
カラオケ機械を設置して昼間っから大騒ぎ、通行人も交えて大合唱してた。
えらいもんやと驚くやらあきれるやら、いつの間にかこんなんが社会現象になってしまって
それもいつの間にか粛清されていった。
ええことか、悪いことか、それはともかく寂しくなった。
路上生活者もブルーシート暮らしもどんどん排除されていった。
そして今がある。
最近この本の存在を知った。78日間西成のドヤで暮らした若者がいて、その暮らしぶりを
ルポにまとめたものらしい。
これは楽しみだ。日雇い暮らし、ドヤ暮らしの実態が生々しく描かれてるんやろ、どんだけ
すごいんやろ?
てなことで読み始めた。
なるほど面白い。日雇いドカタ暮らし、ドヤ暮らしが目の前に立ち上がってくる。
なかなかドカタになる決心がつかない。なかなか仲間にいれてもらえない。
いろんな経緯を経つつ、すこしずつ、飯場暮らしに慣れていく。
たしかに超ディープな世界のルポではあるんやけど、なにやら詰めが甘いんとちゃうやろか?
何の冒険もしいへん外野席のわしがこんなことを言うのも何なんやけど、あんまり深く
入り込むことはせんと結構楽な道を選んでしまってるんとちゃうやろか?
とおりすがりにできる範囲の仕事にであったというだけとちゃうやろか?
やむにやまれずここで暮らす人達の抱える重さがどんなもんかってあんまり伝わって
来いへんような気がする。
むしろ、妖しいドミトリーを渡り歩くバックパッカーのレポートの方が真実味と臨場感が
あってより緊張感が増すんではなかろうかと思ったりするくらいだ。
折角、ある程度中に入っていい話が聞けてるのに突然他人事のようになってしまったり
する。面白いと思う半面不消化な気分が多く残った気がする。
ずっと前に読んだ井上理津子という人の書いた「さいごの色街飛田」という本がとても
よかったのを思い出した。

ルース・スレンチェスカ、「ルース・スレンチェスカ 九十四歳のピアニスト一音で語りかける」。

知り合いの方がインタビューを重ねて、編集した本というので急いで入手したものだ。
ルース・スレンチェスカというピアニストの自叙伝のような体裁ではあるけど、ほぼその人の
ドキュメンタリー作品のような素晴らしいできあがりだ。喋ったことを記録して翻訳する
というだけでは表現できない、ルース・スレンチェスカの数奇な人生が立ち上がってくる。
少女時代に天才と呼ばれて颯爽たるデビューを果たす。
世界の各地で演奏会、ラフマニノフなど著名音楽家に師事することもできるように。
それは父の英才教育の賜物なのか?
英才教育とは児童虐待のことなのか?
そして挫折。
新たな出会いと、復活。
彼女にとってピアノとは何なのか?
人生とは何なのか?
老いて始めてわかること?

老いは成長の始まり
英才教育か児童虐待か
「燃え尽きた蝋燭」と呼ばれて
コンサートピアニストの日々
新天地を求めて
日本との出会い
ラフマニノフに師事
ストラヴィンスキーとの出会い
ボストン・ポップス・オーケストラ(アーサー・フィードラー)
ホロヴィッツ
岡山醍醐桜
ニューヨーク大停電

とても良い。感動した。
手元にあるショパンに聞き入ってしまった。音楽ってええですなあ。

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ありがとうございました。