立松和平、「道元禅師ー上」
先日、中国の人達を案内して福井から金沢まで行ったので、永平寺の事が頭に
残っていた。それでこの本を見つけた時すぐに読んで見る気になったのだ。
道元禅師というのは、永平寺を開いた人、正法眼蔵を表した人という漠然とした
記憶しかなかったが、最近興味深く読んでいる西行や実朝、定家などとほぼ同時代
の人であった。それに京都でもよく訪れる建仁寺とも深いかかわりがある人だと
わかって俄かに身近な人になってきた。
名家の跡取りに生まれ、天下を取る相を持ちながら、仏道に入り、比叡山に登って
道を究めようとする。しかし、本当の悟りは得られない。
正法を求めて山をおり、建仁寺の禅で修業するが迷いはとけない。ならば
真の正法を得るには宋に渡るしかないととうとう海を渡ってしまったのだ。
空海にしろ道元にしろすごいのは尽きる事のない仏教の求道の精神とそこからくる
博学に加えて宋にいくなら宋の言葉を徹底的に勉強している事だ。
いくら想いが溢れていても言葉が通じなければ何もできない。
そしてとうとう真の師たる人に巡り合う。
さて、どんな悟りを開くのであろう。
そして、いつ日本に帰る。日本に帰って何をする。
まあ、実際はわかっている事だけど、立松和平の饒舌は冒険物語のように読者を
運んでくれる。
佐野眞一、「上海時間旅行ー蘇る”オールド上海”の記憶
題名に惹かれて読んでしまった。
今まで上海からみで読んだ人達が一気に網羅されて出て来る、出て来る。
横光利一、金子光晴、里見甫、内山完造、魯迅、李香蘭、川島芳子・・・・
断片の知識の総集編みたいで、楽しい。
実に様々な人達が上海の妖しい魔力にとりつかれ、ここを舞台に命を燃やしたのだ。
「オールド上海」、「魔都上海」などと言葉は心踊るが、
いまも昔も、儚く危うい、まやかしの大都会なのかもしれない。
えらい人も普通の人も、金持ちも貧乏人も、賢い人も馬鹿な人も、一度行ったら
とりつかれないように気をつけないとあきませんよ。
毎週火曜は最近夢中で読んだ本の話です。