お寺の中の静謐な暗がりのなかにいると身も心も涼しくなるようだ。
さんざん悔い改めて、清らかな心と身体になったからには、暑さも苦にならずに
再び表を歩けるだろう。
と表に出たら、何のことはない。暑さ全開だ。これはたまらん。
こんな日差しの中で掃除をしてはる人がいる。
日陰はすずしそうやのに。
えらい違いだ。こんなに暑くても殆どの家はエアコンがなくて日陰で涼んではる。
これは前も出てきた味噌の瓶みたい。こんなに暑いと熟成がすすむんやろね。
屋根の色と形がとてもいい。
どこでも一服できるんか、ガイドさん毎に提携先があるんかようわからんけど
歩き疲れたらどっかの民家に入ってお茶を飲ませてもらえる。
これはすごく助かる。水分補給で生ぬるい水ばっかり飲んでるのも味気ないんで
かなわん。ベトナムも実は美味しいお茶で有名なのだ。それにしてもこの急須、
えらい年季が入ってますなあ。味があると言うか、ちょい汚らしいというか、
並々ならぬ骨董品と言うか、いやはや、まあええか。
一服したら又、炎天下を散歩する。
古ぼけた井戸を見つけた。
古いものだそうだ。「一片氷心」と書いた碑がある。1933年って西暦のことやろか?
それやったらあんまり古くない。
因みに「一片氷心」とはなんじゃいなとググってみたら下記のような情報が出てきた。
中国、王昌齢という詩人の「扶蓉楼にて辛漸を送る」に出てくるようだ。
寒雨 江に連なりて夜 呉に入る
平明 客を送れば楚山 孤なり
洛陽の親友 如(も)し相 問はば
一片の氷心玉壺に在りと
つまり、「一欠片の氷のように澄み切った心」のことを言うらしい。
まるでわしの心のことのようではないか! ?
覗き込んだらえらく汚い。
こっちがわしの心の実像かな?
それにしてもさりげなく村の片隅に中国の漢詩を引用するというのは、
持ち主の教養を示すものなのか?
中国支配の名残なのか?
未だに残ってるのは古い文化を保存するためか?
今となってはどうでもええのか?
わかりませんなあ。
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ありがとうございました。