京都国立博物館で「池大雅展」を見た。

とうとう池大雅展が開催された。この人の作品は与謝蕪村と並んでわしは大好きだ。
京阪七条の駅から京都国立博物館までの道は観光地道路でもあって観光客が結構多い。
昔はこの通り沿いにタバコ屋さんなんかがあって特別展当日であっても前売り
割引券が買えた時もあったけど今はそんなことがない時代になってしまった。
入り口では十重二十重の行列がと心配してたけど、平日のせいか、知る人ぞ知る
画家というせいか、チケット売り場にも入り口にも行列はない。
ゆっくり見られるのはとても有り難い。
一旦3階に上がって2階、1階と見ながら降りるのが順路として設定されている。
大作が多い。
こんなに大作を書いてはったんかと思うほどたっぷりと大作が展示されている。
池大雅というと日本の文人画家の代表みたいなモンやと思う。文人画かとは何かと
言うと、中国では科挙に合格して地方長官みたいな人になった大物行政官が仕事の
合間に万巻の書を読み、詩をつくり、書をいたし、絵も描くというような人の事を
言うらしい。日本ではやること出来ることは似たようなもんでも地位や収入を度外視
する、むしろ清貧に生きてる人のことを言うのが常ではないかと思うんやけど、
まさにそれに当てはまるのがこの人やと思う。
玉蘭夫人と仲睦まじく生涯清貧を貫く暮らしであったようだ。
しかし、その作品はまさにその人格を現すように高雅げ気品に溢れていると思う。
気品高い、あるいは気韻に溢れているというのはどんなもんかと悩んだときは、
この人の絵を見ると良いのだ。
池大雅というと南画の名人やと言う。
南画と文人画は同じか違うか?
元々南画というのは中国、南宋時代に文化芸術が爛熟した頃の絵が基本になっていて
無名無銘の人から有名な人まで多くの絵が残されていて、いまでも中国国画の基本に
なっている。杭州(元南宋の首都)、中国美術学院に絵の勉強で短期留学してた時も
そう教えられた。
そう言う絵を多く描いたのが所謂文人と言われる人達やから南画=文人画
とごちゃごちゃになってるけど微妙に違うんではないか、南画を描く人がすべて
文人(中国ではえらいさん)とは違うんとちゃうやろか、しかし、日本では区別が
あんまり無いんかもしれん。
池大雅の絵は南画の本流の基本をきちんと身につけて絵を描いてはる。まさに正統派
そのものだ。正統から入って独自の完成を遂げていると思う。
とても勉強になる。
省略がとても上手い。それは道を究めた感性やと思う。
中国の水墨画は描きすぎくらい描いてる場合が多いんではないやろか?
日本の優れた水墨画は書き足りないくらい省略して余白が物語るようになっているんでは
ないやろか?
そういう点でもとても勉強になる。
今回の特別展のテーマは「天衣無縫の旅の画家」となっている。
そう、旅の絵の数々が大いなる見所だ。
旅の印象をどう絵にするのか?
型にはめるようで融通無碍、それが天衣無縫たるところだ。
すごい。勉強になる。
浅間山の山並み。富士山の風景。玄界灘の波しぶき。安芸の宮島は右下隅にある
鳥居のきれはしでこれが宮島やと描ききってるではないか。
雨嵐の岩山の間から龍が立ち上る絵もええなあ。
この人の人物画、点景も本景もどちらも素晴らしい。
群像図も大好きだ。五百羅漢図が圧巻だ。あこがれるなあ。
てなことで、素晴らしい絵の数々に感動しっぱなしであった。
展示替えがあったら又行ってしまうかもしれん。
よかったなあ。

 

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