沈復、「浮生六記」
この本を読んで驚いた。なんという素晴らしい本なんだろう。
魯迅や老舎など近代の作家の小説と違って、清代以前の中国の知識人が書いた本
には一定のパターンのようなものがある。殆どが文人=高級役人か、役人だったが
失脚した立場の人が作者となっていて、豊富な知識と格調高い文章や詩がおりこまれた
内容になっている。それはそれで、「すごいなあ」、「勉強になるなあ」、
「かっこいいなあ」と称賛とあこがれの対象ではあるのだが、この本はちょっと
違っている。実に個人的なのだ。私小説のように、最愛の妻と自分が過ごしてきた
日々の事を素直に正直に切々と書き綴っていて好感が持てる。
白易の「琵琶行」という美しい詩を愛でる妻を娶って、蘇州の美しい庭園、滄浪亭の
そばで暮らす幸せな日々のことから始まる。
まじめでつつましい勤勉な生活だ。しかし、ちっとも幸せにならない。
夫婦が一生懸命愛し合って、人の為にも尽くし、頑張って働いても、
騙され、失敗し、貧乏になるばかりなのだ。
そして葬式すらだせないほどの極貧のなかで妻の死をみとらないといけない。
そういう話を、淡々とおごらずかざらずつつましく書いているのを読んで、思わず
感動のあまり涙を流してしまった。
六記のうち、最後の二記は失われているそうだ。題だけはわかっていて
第五 中山記歴、第六 養生記道というそうだ。特に第五は琉球遊記という副題が
ついているので興味がある。見つかって欲しいものだ。
ポール・セロー、「大地中海旅行」
旅と旅行記の名人、ポール・セローの地中海を廻る旅だ。
それも、船と列車やバスをメインにつかった一人旅。
バックパッカー的な旅ではなくて、一市民、一外国人、一作家としての旅の話なので
私は好感を持っている。
今回はジブラルタルとその向かいにあるヘラクレスの岩がテーマで、ジブラルタル
から出発して、オデッセイの航海を想いながら地中海の国と島をめぐり最後は
ジブラルタルの向かいの岩に戻ってくる旅という仕立てになっている。
いまだに戦火がくすぶっているクロアチアやシリア、ヨルダン、イスラエルなどなど
平気でどんどん入っていく。実に興味深い本だ。
こんな章立て、見るからに楽しいでしょう。
ケーブルカーでジブラルタルの岩へ
急行「マーレノストルム」号でアリカンテへ
フェリー「エウロパ岬」号でマジョルカへ
急行「グアダルーベの聖母マリア」号でバルセロナとその先へ
「ル・グラン・ショッド」号でニースへ
フェリー「麗しの島」号でコルシカへ
フェリー「イクヌーサ」号でサルデーニアへ
フェリー「トーレス」号でシチリアへ
フェリー「ヴィッラ」号でカラーブリアへ
キオッジャからフェリー「クローディア」号に乗る
フェリー「リブルニア」号でザタールへ
フェリー「ヴェネツィア」号でアルバニアへ
客船「海の精霊」号でイスタンブールへ
客船「アクデニズ」号でレヴァント地方へ
七時二十分発の急行でラタキアへ
フェリー「海のハーモニー」号でギリシャへ
「エル・ルード三世」号でカルカナ諸島へ
「海峡」号でモロッコへ
毎週火曜は最近夢中で読んだ本の話です。