九度山暮らしのある日、旧暦初午で観音講の餅撒きをやった。

九度山暮らしをしてると、自分たちの好き勝手にやっていくわけにはいかんのは
都会でも田舎でも同じなんやけど、あんまり知らんかったような行事を町内会で
やるときもある。ふんふんなるほどと横目で見てるあいだはええけど、幹事みたいな
ことをやるはめになったら結構面倒くさい。でも興味はある。
ということで、その顛末を少し・・・。
町内会というものの町内はいくつかの地区に別れていて、その地区ごとにいろいろ
行事があるという仕組みになっている。
そしてどうやら、わしらの地区だけが観音講の餅撒きをやることになってるらしい。
それは、地区内に観音様を祀ってるお寺があるからかも知れん。
準備はそれほど難しくない。以前からの資料に基づいて、当日撒くための餅を
餅米屋さんと餅搗き屋さんに注文する。一緒に撒くためのお菓子はスーパーみたいな
とこに前年のリストを持っていったら簡単に揃えてくれる。
簡単でないのは、お互いの連絡だ。
老齢もあれば認知症もある。歳をとると耳が遠くなる。なんだかんだで電話しても
気が付かない人もいれば、外から呼んでも気が付かない人もいる。言うたはずの
ことが伝わってない場合もあるだろう。
いろいろややこしいこともあるけどそれでも何とかなってしまうのが不思議なもんだ。
で、準備万端整って、観音講の読経が始まった。
最近はわしを含めて正座出来へん人が多い。行儀云々より足が、膝が、曲がらへん
のだ。歳をとると体がカチカチに固まってしまうのだ。そやから椅子を置いてある。
ようできたことだ。
てなことで30分ほど我慢すると読経が終わる。
さて、いよいよだ。お寺の縁側を借りて撒き餅と撒き菓子を準備する。
ご近所の方々はもう既にスタンバイを終えてはる。
前の方の大人も子どもも、前は子どもが多いけど、しゃがんで待ってるし、
後ろの人は立っている。皆さんとても行儀が良い。

では、投げよう。知り合いがおったらええんやけど、ほとんどおらんからどこでもええ。
あっちに投げ、こっちに投げ、撒き餅ってようできてる。ちっちゃい礫サイズやから
とても投げやすい。投げたら気持ちええんで、どんどん投げる。
そこのけそこのけと必死の奪いあいなんかまったくなくて、和気藹々と拾ってはる。
餅も菓子もけっこうあるんでだんだん疲れてくる。もうしんどいわって思う頃
やっとなくなったんで、これにておしまい。
その後は、地区の人達の懇親会。
昔は、カラオケの機械まで持ち込んで大盛り上がりだったらしい。
お酒も沢山飲んだらしい。
今は、ひっそりと弁当を食べて、終わったら粛々と解散する。
まあ、それでも続いてる間はええんとちゃうやろか?
平和な一日が終わった。

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ありがとうございました。