F・ジロー、「ピカソとの生活」
この本は、当にこの題の特集をテレビでやっていたので興味を抱いて読んでみたのだ。
F・ジローという人は唯一自分からピカソと決別した人だと言っていた。
自力でピカソの魔力から逃れたのだと言うのだ。それほどピカソには女性を魅了する
存在感と魔力があったのだろう。同時にいろんな女性が出てきて、いろいろな出来事が
当然のことのように起きて行く。そう言う話も面白くはあるが、実際に知りたかったのは
ごく身近にいる人が見ていたピカソの作画のようすだ。
常に大胆で独創的、この世にはないものを初めて世の中に送り続けた人だ。
どうやってたんだろう。
よくわかったのは偶然のものは一つも無いということだ。どれほど抽象的は作品であっても
極めて精密に検討され、作為され、試行錯誤の上に創り上げられたということだ。
あの超絶な色彩と造形の感覚は意図的に計算されたもので、
「えいやあ」、「さっさ」と感情のおもむくままに生まれ出た物ではないと言う事だ。
ピカソほどの天才にしてそうなのだ。
惰性や適当で描かれた線や色は一つも無いのだ。
やっぱり画の道はこうでなくてはいけない。
あらためて感動した。
頑張らなくては。
ドストエフスキー、「カラマゾフの兄弟ー1」亀井郁夫訳
今回はこの訳者が課題なのだ。
ある人に教えて貰った。この翻訳をした人のドストエフスキーに対する思い入れはすごいと
いうことだ。だからこういう思いでドストエフスキーと対峙している人なら、その翻訳を
是非読んでみたいものだというのだ。
「ならば」と私も読んでみた。
勿論、これほどの名作、青年時代にしっかり読んでいる。
つもりだったが、よく考えたらあまり覚えていない。えらく難解だったという印象だけが
残っている。
読み始めたら、「これはすごい」、まるで別の本みたいだ。
どんどん読める。文章にドライブ感があるのだ。
先へ先へとどんどん読み進めさせるリズムと高揚感が気持ちよくて休むのが惜しい位だ。
確かに、細かい言葉遣いや言い回しが、「こんなんでええんかなあ」と思わないでもない
部分もないではないが、そんな事はどうでもいい。
フュードル、ドミートリー、イワン、アリューシャ、カラマゾフ的人格が眼の前に鮮やかに
立ち上がってくるかのようだ。
さて、一幕の殺人事件の始まり、始まり!
毎週火曜は最近夢中で読んだ本の話です。