地鎮祭というのを見た

最近神事というものから遠いなあって思う。お正月に神社に行くことがないで
はないけど適当に頭を下げるだけやし、結婚式も昔は殆ど神式やったけど、今
はキリスト教徒でもないのに殆どアーメンってやってはる。何考えてんやと思
うけど、一生の大事に、異国の神に何かを誓っても意味あるんやろかと思わん
でもないけど、年寄りの石頭がなせる発想であって、今の若い人はもっと柔軟
でフリーな発想を持ってるらしい。かっこいいセレモニーの方が一番大事で神
様は何でもokということらしい。
それでもよう考えたら意外と神社を使ってる。
子どもが生まれたら宮参りに行ったり、お食い初め、初節句、七五三、色々
あるではないか。
簡単に言うたら、生まれてしばらくは神さまのお世話になって、結婚の時は、
キリストさま、死ぬときは仏さまと使い分けされてる。
それに必要に応じて、地鎮祭やったり、起工式やったり、なんじゃかんじゃと
お祓いしたりする。
時の場合に応じていろんな神様や仏様を使い分けしてるのだ。
なんと自由自在な発想なんやろ。
これでええんとちゃうやろか。
支離滅裂、節操なしとかんがえるより、宗教に凝り固まって他の宗教を容認で
きなかったり、攻撃したり、あげくは戦争したりしようとするよりはなんぼか
ましかわからんと思ったりする。
よくアジアのあちこちの旅をすると、仏教やヒンズー教、道教などなど、名の
しれた宗教だけでなくて色んな地の神様を祀っているのに出会う事が多い。
こんなんってええなあって思う。
お祈りの仕方はわからへんけど、敬意は払いたいと思う。
どこにも精霊はいる。神様はいる。そして我らを守ってくれている。
野蛮でも未開でも時代遅れでもなんでもないと思う。むしろもしかしたら、も
っと自由で自然で先進的なんかも知れん。
地鎮祭なるものを見てて、そんな風に感じた。

jitin151215

こういう儀式っていうのも何かええ感じだ。
子どもの頃、何気なくみてた風景がこんな意味を持ってたんかってよくわかる。
ところで宮司さんの暮らしってどうなってんやろ?
日本人のええ加減な神頼みがシステム化されて、神職の暮らしを支えることが
できるようにできてるんやろか?
それでネットで調べてみた。
収入源はやはりお祓い系が中心みたい。しかし、驚いたのは給料制みたい。
どういう仕組みかまではわからんかったけど上限もあるらしい。それも決して
多くはない。
結構大変そうだ。専業では無理な人も多いらしい。
しかも資格試験や推薦制なんかがあって別の世界からの門戸も決して大きく開
かれているわけでもなさそうだ。
プロフェッショナルの道はいろいろ厳しい。

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ありがとうございました。