ダーウィンの旅プラスあじあを少し-14、戦争博物館

今日は朝から、先日、FMダーウィンでインタビューを受けた時にインタビュアー
をされた方がダーウィンの戦争博物館に案内してくれるのだそうだ。
戦争博物館って聞いただけであんまり気が進まん。
元々弱虫やから戦事みたいなんは好きやないし、残酷な現実から目を背けるな
って言われても気い弱いから目を背ける。
ところが、「ダーウィンでも日本軍の空襲があったの知ってる?」って聞かれ
て、わしらは全員知らんかった。それで色々話を聞いているうちに、その記念
館がダーウィンに最近出来たんで明日行きましょうという流れになったら、「
いやちょっとやめときますわ」っていう選択肢はあり得ない。
さて、入館するなり緊張する。
オーストラリアの人は日本人には好意的やと聞いてるし、変な視線を送ってく
る人なんか居いへんのやけど。
やっぱり。
最初は、壁面一杯のムービーから始まる。
ダーウィン市民の平和な一日が当時の静止画像を編集して映し出されていく。
そこに突然、日本軍の空襲が始まる。
あまり残酷な画像は出てこないけど、無残に破壊された街が次々と浮かび上がる。
日本の街が空襲される場面はなんども映像で見たことがあるけど、日本軍によ
る空襲の場面は初めてだ。作り物のムービーでなくて、残された写真を写して
るからよけい迫力がある。
後は、色んな残留遺物の展示だ。

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これは違う。
ほっとする。
ここは外敵が海から攻めて来た時に防備する砲台の跡らしい。
その施設跡を利用して記念博物館を作っているのだ。

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いろんなものが展示されている。

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必ずしも日本軍が残していったものとは限らない。
これは機雷かな?

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砲台の測距儀?

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それに砲台。

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これはレプリカだそうだ。本物は日本の戦後復興期に鉄が不足した時期があっ
てその役にたてようと日本に送られたのだそうだ。
オーストラリアには戦前は真珠養殖などで為に沢山の日本人が来ていたそうだ。
戦争勃発でその人達は強制収容所に囚われの身となり、ある日集団脱走事件が
起きて沢山の人が亡くなったそうだ。
いろんな悲劇があったけれど、それを乗り越えて、日豪の交流に尽力している
人達がいる。
そういう一端を知ることができて有り難かった。

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ありがとうございました。