映画、「消えた画、クメール・ルージュの真実」を見た

きつい映画やなあ。
きついけど、あの土人形の表情やしぐさをじっと見ときたい。
カンボジアのアンコールワットには2度行った事がある。
「地雷を踏んだらサヨウナラ」の一ノ瀬泰造が死んだところだ。一度目はもう
十年ほど前になる。遺跡にいて、案内してやろって群がってくる子供達がほん
まに英語がうまいんで感動した。もちろんわしらの比やない。どこで覚えたん
かって聞いたら、外人相手にこんな暮らししてるうちに覚えたって言うてた。
えらいなあって思った。その頃は夜になると漆黒の闇やった。本当に暗いって
こういうんやとわかった。
二度目は去年だ。夜になってもいっこも暗くなれへん。街は確実に観光ずれし
てしまってた。ガイドさんの日本語があんまりうまいんで誰に習ったって聞い
たらお坊さんに習ったって言ってた。トンレサップ湖に行って観光船に乗った
ら、少年ガイドのあまりにも流暢な英語を聞いてるうちにまんまと貧困ビジネ
スにひっかかりかけた。遺跡で遊んでる子ども達は本当に純粋そうやのに、お
金にからんで生きてる子ども達はけっこう心がすさんでるんちゃうやろかと思
ったりした。あのポルポトの大量殺戮の時代に教育に携わる人たちが殆ど死ん
でしまったんで教育をうけられずに育った子供たちが沢山いるのだそうだ。

この映画は、ポルポト時代に市民や農民が受けた苦しみの暮らしを、その流し
た血が染み込んだに違いない大地の土をこねて作った大量の土人形で現してい
る。どのような暮らしを強いられたか。どのように飢えたか。どのように耐え
たか。どのように死んだか。どのように悲しんだか。老いたるものも幼きもの
も、男も女も、夥しい人形が登場する。どの顔も哀しい。希望がない。
ここに昇華されたものが、もしかしたら写真や言葉よりも胸を打つのかもしれ
ない。
小さな土人形の存在感がすごい。
今はじっとこの人形達を見ていようと思わせられた。

しかし、ポルポトの残虐は許されへん。ポルポトは悪魔やったと言うても、そ
の存在を後押ししてた側にわしらは所属してたんとちゃうやろか。
今でもそんな例が沢山あるやんか。
罪のない市民を虐殺するやつらこそが人類共通の敵であるはずなのに・・。
何で? と言わんなんことが多すぎる。

eiga140918

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ありがとうございました。