最近読んだ本、「大黒屋光太夫 上、下」

  • 2014年5月30日
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吉村昭、「本、大黒屋光太夫 上、下」
こないだこの人の本、「桜田門外の変」を読んでこの人の本の作り方にいたく
感動した。徹底的に資料を探し、根掘り葉掘り掘り下げ尽くして登場人物の人
物像なり、実際に起こった事柄なりを紡ぎあげていくというやり方だ。その為
なのか、素晴らしい存在感なり臨場感なりが作品に現れてくる。
それで、大分以前に大黒屋光太夫を描いた作品、井上靖の「おろしや国酔夢譚」
を読んでこれはすごくおもしろかったのを思い出し、もっと臨場感のある物語
に出会えるかと期待して読み始めたのだ。
天明2年(1782)、伊勢白子浦を出帆した回米船、神昌丸は遠州灘で暴風雨に遭遇
した。因みにこの地は伊勢の地にありながら紀州藩と深い関係にあって、この
時運んだメインの荷は紀州藩の米であった。なるほどわが故郷と関係あるやん
か。船は嵐で難破して漂流を始めた。積荷は米やからこれを食える。しかし、
水は無い。陸地はいっこうに見えない。死人もでるが助かるあてはない。
とうとう陸地を見つけた。人もいた。しかし、見たことも無い風貌で、聞いた
こともない言葉を話す。
果たして彼らはどうなるのか。
この話で印象に残ったのはキリロと言う人だ。
光太夫達に何を感じたのか、彼らが女帝エカテリーナに会えるよう、日本に
帰りたいと陳情できるようとことん援助する。ありとあらゆるルートを頼って
上申書を書く。何度断られても諦めないで又別のルートを探す。
やがて道が開ける。
こういう根性って日本人にはないなあって思うほどだ。
それに言葉を覚えるって大事やなあってつくづく感じた。
わしもわずか3ヶ月やけど中国に留学したことがある。一応は中国語を勉強し
ていったつもりやったけどさっぱり使いもんにならへんかった。それでも、
毎日、毎日、電子辞書を離さんようにしてわからん言葉があったら直ぐ調べ
てた。道でものを聞かれて答えられへんかったり、バスで話しかけられて、
返事もできへんかったら一番くやしかったけど、帰るころは少しはましにな
ってた。彼らの辛苦にくらべたら例えようもないんやけど。
さて、それで光太夫たちはどうなった。結果は皆さんが知ってる通りだ。
エカテリーナ女帝に拝謁できて、彼らの為に船を出してもらって、日本に帰
れたのだ。いろんな政治的な背景があったにしても運がよかったんやろし、
幸運をつかめる品性を磨く努力をしてたんやと思う。
向こうに残った二人に疑問を感じた。改宗したから帰れない?
そんなに帰りたいなら、転びバテレンになればええのに?
そうはいかんのやろか?それがわからん。
他に印象に残ったのは彼らの体力だ。遭難から囚われの身の間。あれだけの
寒気と食料不足の中で確かに病気になって死んでしまった人もいたけど、ち
ゃんと健康に生き残れる体力を備えていたというのがすごいと思う。今のわ
しらのようなちゃっちい体力ではあっという間に全員死んでたやろなあ。
面白かったけど、吉村昭にしては少々内容に厚みが薄いように感じた。

hon140530

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