保坂和志、「もうひとつの季節」
日々の暮らしのおだやかさこそ、実は大いなる哲学なのかもしれない。
ここにいる赤ん坊がおとうさんで、いっしょに写っているのは猫だ。
赤ん坊が目の前のお父さんになったのなら、猫はどうなったの?
茶々丸とクイちゃん。
中野さん。松井さん。
美紗ちゃん。
普通の暮らしが、普通に流れて行く。
劇的なことはなにもおこらない。
ゆっくりとした時間の流れだ。
そこに、しっかりと存在感があって哲学的だ。
小林秀雄、「真贋」
ホンモノを見分ける力は、ひたすら好いモノを身近において見続けるしかない。
ホンモノを見続け、鋭い考察で切り取る。
しかも骨董とは、なぶりまわすモノ。
本気で売り買いするモノであって、決して鑑賞の為のものではないという。
オノレが山に分け入ってこその富士の画と書かれている富岡鉄斎の
「富士山図屏風」、紙面でも異様な迫力だ。
この画、以前、東京国立博物館の「対決、巨匠たちの日本美術」で横山大観に
対比して出ていたものだ。
はずかしながら、其の時の記憶がない。
是非もう一度見てみたいものだ。
毎週火曜は最近夢中で読んだ本の話です。