第2次大戦の終わりの頃、沿海州に住んでいた韓国人(彼らは自分達の事を誇
りを持って高麗人と呼んでいるようだ)がソ連によって敵国日本の占領下にい
たやつらやからスパイあるいはそのおそれがあると言う理由をつけられて大量
に強制移住させられたのだそうだ。突然、殆ど着の身着のままで列車に乗せら
れ、それも家畜を運ぶような貨車の中だ。何日間も食事も与えられず、トイレ
すらない環境での移動だった。それだけで死ぬ人が沢山いた。移動、移動を重
ねて最終的に到着したのがウズベキスタンだ。
そこでの生活もまたすさまじいものだった。酷暑、酷寒の血で酷い重労働だ。
ソ連は、終戦直後、満州に残った日本人に対しても強制連行、強制労働ですさ
まじく酷い事をしたという記録はいろんな形で読んだ事があるし、戦争直後の
どさくさに北方4島を攻めて、これまた非人道的な暴虐行為を行ったと言う映
画もついこないだ見た。こういう事は、風化しないうちにきちんと何らかの形
で残しておかないといけないと思った。
この時、ウズベキスタンに居た高麗人の中にシン・スンナムと言う人がいた。彼
は、困難のうちに画家になって、この事を題材に、「レクイエム」と言う対策
を描いたと言うのがこの映画の話だ。
何故、こういう絵を描いたのか、何故、こういう絵が描かれなければならなかっ
たのか、生き残った関係者にその当時、見聞きした様々な酷い出来事を、次々と
インタビューしながら浮き彫りにしていくのだ。
画はピカソのゲルニカを思わせるような、そして作者自身十分それを意識して
描いたようなかなり抽象的、象徴的な画法で描かれている。
芸術としての価値はわしにはわからんし、好きかと言われれば、極く好みと言
うジャンルの描き方ではないけれど、この絵にこめようとした理不尽さに対す
る怒りや、故なくして死なされてしまった人たちへの鎮魂と祈りの心は十分伝
わって来る。
もう戦後も六十数年経ってしまった。
いろんな事が人々の記憶から消えつつあると思う。
逆にあまりに生々しくて口にしたくなかった記憶も、消えてしまわない内に、
記録に残しておかないといけないと思う人達が出て来始めたようにも思う。
「歴史認識」って言葉を変な変な意味づけをした変な政治用語にして欲しくな
い。
たまには真面目にものを考えてしまった気がするが、映画の間中、暗闇の中で
ずっとぼそぼそ何か食っては茶を飲んではる人がいた。あんまり音は出してな
いんでまあええかとも思ったけど、気になるやんか。
何か食わんといられん人っているんやね。
ブログランキングに参加しています。もしよかったらポチンとお願い致します。
にほんブログ村
ありがとうございました。