「人形有情」、吉田玉男 宮辻政夫(聞き手)
すばらしい本だ。
人間国宝が語る文楽、人形遣いの話だ。至芸を持つ人であるからこそ言える言葉
の数々が煌いている。
人形で役を演じきるというのは、その役の人を理解しつくすという事なのだろう
と思う。その上で役になりきってはいけないと言う。
知り尽くした上で、ならないと言えるのがすごいところなのだ。
目の動き、首の動き、頭の動き、手の動き、腰の動き、足の動き、全てがその役
の人を理解して動いていなければならないのだ。
どれほどの歳月と精神力と体力をかけて身につけなければならないのだろう。
こういう話の内容を知った上でご本人の芸術を見ることが出来ればもっとすばら
しいのだが、もう今は適わない。
この本を読んでいて思ったのだが、文楽を演じる時に、浄瑠璃語りと人形遣いの
どちらが主導権をとるんやろうという事だ。至芸と至芸がぶつかるときに阿吽の
呼吸の引き金はどっちが持っているんやろう。
前に、文楽ではなくて女性の素浄瑠璃の公演のリハーサルをたまたま覗き見る事
ができる機会に恵まれた。たった1回の公演の為に延々10時間ほどもの手に汗
を握るようなリハーサルが本番開始の時間切れまで続いた。その時の温度環境で
三味線の糸が微妙に狂う事やそれに起因するのか息のあわせが非常に難しかった
と言うこともあったそうだが、納得するまで絶対に妥協しないというプロの真髄
を見た思いだった。。何度も何度も厳しい言葉が飛んでいた。その時に、素浄瑠
璃でさえこんなんなんやから文楽で人形と一緒にやる時に、語り部の思いと人形
遣いの思いはどうやって合わせるんやろと思っていた。
この本を読んでその時のことを思い出したのだ。
文楽を見ていて(聞いていて)、感極まったその時に思わず泣いてしまう事が多
いけど、聞きながら泣いてしまうんやろか、見ながら泣いてしまうんやろか。
11月公演を見に行ってよう考えよう。
「一千一秒物語」、稲垣足穂
恥ずかしながら稲垣足穂の本を読んだことが無かった。
何となく同性愛的な本を書く人やと思って、そういう方面の話はあまり好きでは
無いから敬遠してたのだ。
ちょっと機会があって、この本の事を聞いた。
それで読んでみたらすばらしい本であった。
古い古い本やのにものすごく新鮮だ。
繊細できりりと鋭くて、ファンタスチックで荒唐無稽だ。
面白くて楽しくて悲しい。
例えばこんな話。
**
ハーモニカが盗まれた話
ある夕方 表への出合い頭に流星と衝突した
ハッと思うと そこにはたれもいなかった
おれはプラタナスの下を歩きながら考えた するとそれ
が流星であったかどうかわからなかった が 衝突したは
ずみに帽子を落した 帽子をしらべてみると ほこりがつ
いていた おれは家の方へ走った 部屋にかけこむなりテ
ーブルの引き出しをあけた ハーモニカがなかった
:稲垣足穂、「一千一秒物語」より
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