ル・クレジオ、「飢えのリトルネロ」
1930年代から40年台にかけての少女エテルの物語り。
時代は第2次世界大戦にあらがいようもなく引きずり込まれて行くパリの街角にある。
モーリシャス島で過ごした日々から抜け出せない叔父さん。
叔父さんの大事なエテル。
欺瞞だらけのサロン、夢みることしかできない父がいる。
ロシア貴族の娘がいる。高慢さだけが武器の貧しい家族。
いやなやつだが素敵に魅力的だ。
そして戦争が、
ナチスがやってくる。
サロンにも飢えがやってくる。
食べ物もない。信頼もない。助け合いもない。文化もない。
それでも身を寄せ合って生きて行く。
ボレロの曲が流れていく。音楽は終わらない。飢えは終わらない。
ニースに行こう。おんぼろのド・ディオン・ブートンに乗って。
昔、「調書」とか「巨人たち」を読んだ事があるが完璧に忘れてしまった。
つっぱりまくりの作品だったような気がしたが、間違いだったかな?
名前に惹かれて読んでしまった。
いつのまにかノーベル賞作家になってしまっていた。
永井荷風、「日和下駄」
・・・・・
東京の都市は王政復古の後、早くも六十年の星霜を閲しながら、猶防火衛生の
如き必須の設備すら完成する事が出来ずにいる。・・・
:永井荷風、「日和下駄」より
こういう時代ではあるが、それでも近代化に向かってどんどんと変わっていく
東京に暮らして、日々薄れて消えていく江戸情緒を嘆きながら、古い絵地図を
片手に下駄をはいて歩き回る荷風の随筆だ。
・・市中の電車に乗って行き先を急ごうというには、乗換場を過る度毎に見得も
体裁もかまわず人を突き退け、我武者羅に飛び乗る蛮勇がなくてはならぬ・・・
:永井荷風、「日和下駄」より
だから、歩いた方がましだと荷風先生はおっしゃるのだ。
この心は今でもかわらないだろうと思う。
歩けるところは歩いた方が思わぬ景色に出会えるものだ。
東京も変わってしまっただろうが、大阪も変わってしまった。
荷風先生の真似をして、もっと街歩きをしないといけない。
「濹東綺譚」とは又違った味がある。
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ありがとうございました。