立原正秋、加藤唐九朗、「やきものの美を求めて」
読み始めて気がつきました。これって随分昔に買った単行本「紫匂い」と全く同じものでした。
買う時に気がつかなかったのは何ともうかつですが、気に入る道筋は変わってないなという意味では納得でした。
外見からではわからないですからね。
(書き出しからして同じなんですけど)
加藤唐九朗が紫色の志野を焼いたという対談からはじまります。
加藤唐九朗は当代きっての陶芸家であるし、立原正秋は自伝的な小説「冬のかたみに」にもでてくるように、朝鮮の出身で、禅の高僧の家に生まれ育って、常に青磁、白磁を身近において暮らしたきた人ですから、やきものに対する思い入れや鋭い美意識は、読んでいて楽しいし、勉強になります。
やはり、ものは何の為につかうかという事で産まれ出るものですから、その用の美というが一番大事だと思います。
志野、織部、有田、一杯勉強しないといけません。
丹波焼きも気になります。
近いので行ってみようと思います。
岩井志麻子 「私小説」
前に、「為為満州」を読んで、赤裸々というか強烈というか愛情表現にショックを受けて、またまた読んでしまいました。
男に会いに、ホーチミンへ通う女。
このホーチミンの暮らしよく分かります。
小さな風呂場でつかうような椅子に座って屋外で飯を食ってます。そんな暮らし目に浮かびます。
移り気は、韓国、ソウルへ。
ソウルは一回しか行ってないので目には浮かびませんが。
あの事はまざまざとわかります。
いつかは金の話になって、そうなると、結局は終わってしまうというのも当たり前の結末です。
女性の側から、何のてらいもなく、ありありと描写するのは、それはそれで、正直に受け止められます。
でも、それしかない。
あまりにも、何もないというのも小説としては、ちょっと残念です。
毎週火曜は最近夢中で読んだ本の話です。