「二月のつぎに七月が」。
堀江敏幸
そのひとはいつも同じ時間にあらわれ、テーブルに古い文庫本を広げては手帖になにか書きものをして過ごす。
停泊地となる居場所を見つけること。
老いの過程を肯うこと。
戦争の記憶を引き継ぐこと。
青果市場の関係者や近所の人々が出入りする「いちば食堂」。
丕出子さんがいる。
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入口のドアが開いて、声が聞こえる。事務所のひとと、知らない顔がふたり、やや遅れてくたびれたコート姿が見えてくる。がらんとしていた食堂が急に活気づく。阿見さんはしゃべらない。でもたった三人のやりとりで、食堂の空気が明るくなる。お店はお客さんがいてはじめて生きる。
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丕出子さんは、この職場にきて初めて、ここなら生きていけると思った。
冷房がない。暑い日も扇風機の風だけが回ってる。
それを狙ってくる客も多い。
冷気にさらされていると体調を崩す人も多いのだ。救われるといいつつここに来る人も多い。
調理をするのは笛田さん。
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「食べてくれるひとの顔を具体的に思い浮かべて、よいものを提供したいという気持ちが、料理の味を決める。準備や技術を、愉しさ、喜ばしさが超えていく。賄いをつくるのが楽しいのは、ありあわせのものを使って、味覚をいかに喜ばせ、いかに食欲を満たすかを、そのつど現場で考え、すぐに試すことができるからだ。丕出子さんの反応は家族とまるでちがう。素直というような言葉では収まらない大らかさがあるのだが、笛田さんにはうまく説明できない。丕出子さんと食べるときは、食堂の空気ぜんたいを賄っているような気がするのだ。」
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特別な材料はつかわない。
手に入りやすいものが殆どだ。それに一手間加える。
阿見さんがいる。
そのひとはいつも同じ時間にあらわれ、テーブルに古い文庫本を広げては手帖になにか書きものをして過ごす。
文庫本は父親が残したものだ。戦場にまで持っていって、大事にしていたもの。
この三人とお店に現れる人たちのと会話がこの物語のすべてなのだ。
いつの間にか、この食堂に来るようになった高校生の三人組もいる。
敷地の境界を巡って、なんだかいざこざに巻き込まれそうな人がいる。
少年野球のコーチをしていた人のある事件を巡って、それの善悪や倫理観をいつまでも議論している人がいる。
そろばん塾に通っていた少年の頃。塾の教師をしていた頃。そろばんにまつわる話が人生の骨格であるかのように語る人もいる。
ドラマは何も起こらない。
普通の人の普通の時間が流れている。
なんだかそういう人たちの会話に中にいつのまにか自分もいるような気になっている。
そんな中でおきるちょっとした漣に捕まえられて、よろこんだり、悲しんだり。
憤慨したり。安心したり。
まんまと作家のたくらみの手のひらの上で。
どんどんページがすすむ。
文の力ですなあ。
いつの間にか726ページ、読んでしまった。
素晴らしい。

わしの勝手なお勧め度。
星五つ。
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