下鴨納涼古書まつりに行った話−2。古本屋を巡る。

本を見るのは楽しい。

じっくり本の背中を見るのは久しぶりだ。

古いの新しいの、次々とタイトルを見ていく。

タイトルでそれとわかるやつも結構ある。

著者名で大体どんなもんかわかるのもある。

ジャンル別に整理されてるなんてことはないんで、帰ってそれが面白い。

あじあん

装丁や絵柄が気になるやつもある。

例えば、谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記」。

これも、昔に古本屋で見つけた。

棟方志功の版画で全体が装丁されたやつだ。

しかも、文中にも版画がふんだんに入っている。

これはよかった。

例えば、泉鏡花の「高野聖」。

これも、昔に、古本屋で見つけた本。

鏑木清方の日本画が挿絵に入っている。

ええですなあ。

例えば、円空仏の立派な写真集を見つけたこともある。

良いものに巡り会えたら幸せだ。

しかし、いつもいつもそういう出会いがあるとは限らない。

それに、見る時の気分と意気込みにも大きく影響される。

気合が入ってないときは、書棚の前を通り過ぎる速度が早い。いろいろ見てるようで見てない。

あじあん

サラッと眺めてるだけで、脳まで届いてない。

反対にその気になってるときは、えらく時間がかかる。

1軒見終わったらえらく時間が過ぎてる。一冊一冊、眺めながら脳に信号を送ってる。

時には中身を見てみる。

気持ちが動いても、やたら買ったら荷物が重くなる。

店の名前と本の場所を覚えておいて、ほんまに覚えれるかなあ?

決心がついたら後で買いにいくことにする。

時には急がんとこんだけ本屋さんがあったら終わらへん。

あじあん

どんどん先に進もう。

しかし、はたと気がついた。

よう考えたらわしは、もう基本的には本は買わんと決めたはずだ。

大して広くもない自分の本棚が本でいっぱいだ。これ以上買っても、わしがおらんようになったら家族の邪魔になるだけだ。本だけではないけど。

本は買わずに図書館で借りよう。

そんな暮らしをずっとしてきてる。

ほとんどそれで用が足りてる。

時々、新刊書の本屋さんに行って、気になる本をメモする。そして家に帰ってから、図書館でネット予約する。地元だけではなくて、都会の図書館も含めたら、ほとんどの本はそれで予約できる。

まあ、直ぐには読めないけど、時には、一年以上待つこともあるけど、まあ、それはそれで、根気良くたくさん仕込んでおけば、順番にやってくる。

しかし、時には、古い本で良いのがあったりして、図書館になかったりするのがある。

図書館にあっても、自分の手元に置いておきたいやつもある。

そういうやつに古本屋で出会えたら、とても良いではないか。

見てたら、若い人たちは、袋や入れ物を用意してきて、どっさり買い込んでる人が多い。

わしら爺さんは、そんな真似をしたら、体力的に持って帰られへんことになる。

ご注意。

御注意。

あじあん

古本祭り訪問を動画にしました。ご覧ください。

糺の森の地図。

あじあん

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