「井蛙之見」。
遥か昔のことだった。
初めてアメリカに行った時、飛行機の中で、水くれとか、何やらくれとか頼んだとき、陽気なCAのおばさんに発音をいちいち直されたなあ。
何かの入場券を買う時に「こども2枚」って単数形で言うたら、いちいち複数形に直された。
レストランで注文したら、巨大なサラダが出てきた。こんなん注文してないって言うたら、これは付いてるやつだという。それだけで腹一杯になってしまった。
一人前のピザの大きさ、ドリンクの巨大さ。
えらいとこへ来たなあって思った。
別の機会に、ロスでタクシーに乗った。なんだかいつまで経っても着かへん。目的地が違ってたらしい。わしの言い間違いか、むこうの聞き間違いか。
やっとついた。盛んにあやまってくれる。いろいろ遠回り、メータ料金にちょい上乗せして渡そうとしたら、「いらんという」、「わしにもプライドが・・・」、わしの英語が貧弱なんでちゃんと伝わらへん。本来だったら必要だった金額を受け取って帰りはった。
さすがやねえ。
10年以上経ってまた行った。
なんだか、えらい普通やった。食い物、飲み物のサイズもこころなしか小さくなってる?
圧力感も小さく?
それからまた10年以上。
今行ったらどうなんやろね。
わしの心も随分すれてしまったもんね。
「一言一句」。
前に本を読んでたら、小説家の世界は「一言半句」の戦場やって書いてた人がいたなあ。
道を極めた人でも、たった一言の重みを最後の最後まで吟味するという凄まじい生き様のことやったんやろか。
内容はすっかり忘れてしまった。
わしは、平凡な普通の爺さん。
こんな凄まじいプロの世界とはなんの関係もない。
本は読むだけだ。文を書いても、もちろん何のこだわりもない。
ところが、下手の横好きで水墨画なんかを描いている。
こっちでは少々のこだわりがある。
線を引くこと。味のある線を描きたい。
これだけ、始めたころは結構練習をしてた。半紙を練習紙にして何本も、何十本も線を引く。横ばっかり1枚、反対方向も1枚。縦ばっかり1枚反対方向も1枚。これをセットに何回も練習する。
毎日やってるとそのうち上手になる?
かも?
筆に墨をつけ、薄くなったらゆっくり引く。枯れて描けなくなるまで墨を足さない。
筆をしっかり立てて持つ。呼吸を整えてゆっくり引く。
毎日やってるとそのうちええ線が引けるようになる?
かも?
絵を描くときは顔やったら目から、あるいは近景の中心になるやつから。
そして、ほとんど最初の段階で引いた、1番目かも知れん、線が気に入らんかったら何故かずっと最後まで気になる。描き直すことはできへんから、気になって時点でボツ。
最初の5mmほどの線でボツにすることもよくある。
そやからええ絵ができるわけではない。
それを繰り返したから上手になるわけでもない。
ただの思い込み。ただのこだわり。
そんなことでちょっとずつやってます。
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