合縁奇縁
水墨画の師匠が、縦長の半切紙にお手本の絵を描いていく。
わしら弟子は、それを取り囲んで一生懸命描き方を見てる。なるほどそうやるか。
向かい側にいるわしは、紙の上部をそっと引っ張って、新たに描く場所をつくる。
こうやって、紙を引っ張って、もう10年にもなるではないか。
そろそろ潮時ではないやろか。
この人のもとから卒業しよう。
それから、又、10年弱やろか。
元々、友人が、京都の賑やかなあたりの一角で、おもろいとこあるで、けったいな中国人が絵、教えてる。習いに行ってみようか。
で、始まった。きまりや流儀やしきたりや、もろもろありそうな枠がなにもない。自由自在、とても新鮮。それにとても魅力的な水墨画を描いてはる。これやなっと一気にのめり込んで、習い始めた。
一緒に、酒を飲んだり、旅に行ったり、しかも中国へ行ったりもした。おおらかで豪放、大陸人らしい魅力的な人やと思ってた。
しかし、距離が縮まるといろいろと問題がでる。大きな問題がたくさんでる。
これはあきません。
思い切って、離れよう。ゆるーい関係でつづけさせていただこう。
やっぱりお国柄もありそうだ。
距離が近づくと難しい。
ゆるーく、ゆるーく。
なんだかねえ。
:::「隣人までの距離」
すぐとなりにいる人までの道のりが、わたしにとっては、とても長い。
:::カフカ断片集 新潮文庫 より
消息盈(えい)虚
消えたり生まれたり。満ちたり欠けたり。栄えたり、廃れたり。
時代が変化していくこと。易經より。知らんけど。
世の中はどんどん変わっていく。
コンピュータ、デジタルの時代だ。スマホが触れんかったら生きていかれへん。
確かに便利ではある。
スマホさえあれば何でもできる。
パソコンがあったら、居ながらにして何でも買い物ができる。ポチっとしてしばらくしたらモノがとどく。
変わったもんだ。えらいもんだ。
旅の様子も変わってきた。
日本の今はなくなった原風景みたいなのを感じたくてアジアの田舎によく行ってた。しかし、今や、貧しくなってしまった日本と裏腹にグングンと勢いを増してきたそういう国では、勢いは前以上に盛んなものの、モノ皆新しくなって、綺麗になって、人であふれて、簡単に言えばおもろくなくなってきてるようだ。
変わったもんだ。
そうなると、時には古いモノがなつかしい。
古いカメラを取り出して、撮ってみたら意外とええやんと思ったり、古い万年筆を引っ張り出して掃除して使ってみたり。
壁掛けの振り子時計を見つけだして、修理して動いたら、なんだかうれしくなったり。
なるほど。
よう考えたら、わし自身が古ボケただけだったのだ。
:::百人一首より
花さそふ あらしの庭の雪ならで ふりゆくものは我が身なりけり
:::入道前太政大臣(西園寺公経) 新勅撰集 雑・1054
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