時々、誰も興味ない話を一席。
我が家には、荒れた庭がある。
荒れ果ててはないけど、手入れを怠ってる。雑草が生え放題。木は伸び放題。
最近ちょっと心を入れ替えて、自分勝手な素人剪定をしたり、雑草を抜いたりしてる。
でもなんだか、気持ちが入らへん。
花壇を作りたいわけでもないし、庭園風の庭を作りたいわけでもない。
自然にほったらかして、時々きれいな花がさいたりしたらええなあって思うくらいだ。
何をどうするか、アイデアがわかへん。
南方熊楠の庭。
そんなころ、先日、田辺に旅行した時に、「南方熊楠」の旧邸を訪問する機会があった。
その時に、庭をみて、なんだか感動した。
ガーデンニングとか作庭とか、数奇を凝らすとか、そんなんと全く関係ない、ごく自然の庭があった。
雑草は抜かれてちゃんと手入れはされてるけど、きちんと剪定はされてるけど、木や花は、ごく自然に植ってるように見える。
植物に造詣が深い熊楠が集めた木や花やから、さぞかし、いろんなこだわりがつまってるんやろと思う。
わしからみたらただ雑然としてるだけに見えるけど、それでも見てて気持ちが良い。
こういう庭ってええなあって思った。
庭に手をいれるんやったらこんな考えがええなあって思ったしだい。
だからなんかができるというわけではないけどね。
その時、玄関に面白いオブジェがあった。
とても面白い。
これは熊楠さんのではなくて、娘さんのご主人が彫られたものだそうだ。
こういうのをさりげなく置くのもええなあって思う。
しかし、石彫りをいまさら始めるのはとんでもない話やし、買うのも敷居がたかすぎる。
石臼オブジェ。
そのうち、庭の隅を見てたら、古い石臼がいくつか捨ててあった。
なんでこんなんあるんやろ? と思いつつ、これってオブジェって思ったらおもろいんとちゃうやろかって思った。
ちょっと洗って、並べてみた。
ものは思いようでなんかに見える。
今はわけわからんけど、こんなんに何かを加えておもろいことを考えてみよう。
ちょっと楽しみが出てきた。
今の気分は陶淵明の詩みたい。
陶淵明の雜詩其一 人生無根蔕 人生 根蔕なく 飄如陌上塵 飄として陌上の塵の如し 分散逐風轉 分散し風を逐って轉じ 此已非常身 此れ已に常の身に非ず 落地爲兄弟 地に落ちては兄弟と爲る 何必骨肉親 何ぞ必ずしも骨肉の親のみならんや 得歡當作樂 歡を得なば當に樂しみを作すべし 斗酒聚比鄰 斗酒 比鄰を聚めよ 盛年不重來 盛年 重ねては來たらず 一日難再晨 一日 再びは晨なりがたし 及時當勉勵 時に及んで當に勉勵すべし 歳月不待人 歳月 人を待たず
歳とるとこういう心境になるんですなあ。