最近描いた墨絵作品のご紹介。「平泉光堂」、「尿前の関」。
芭蕉の「奥の細道」の旅へのオマージュみたいな絵を描いています。
概ね、奥の細道の順番通りに描いてはいるけど、ブログにアップしたりするのはバラバラになる。
こちらの都合。
気ままにアップさせていただく。
今回は、「平泉光堂」と「尿前の席」。
まず、「平泉光堂」。
本文の平泉の章。
三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。
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夏草や兵どもが夢の跡
卯の花に兼房みゆる白毛かな 曾良
兼ねて耳驚かしたる二堂開帳す。
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五月雨の降り残してや光堂
こいつの風情をどう描くか。
随分前の雪降る季節に、友人たちとここを訪れたことがある。
兵どもの夢の跡は朽ち果ててはいなかったし、三代の栄養と謳われた壮大ま文化の足跡はあちらこちらで拝見することができた。
もちろん中尊寺も訪れた。えらくでかい。それでも当時には比べもんにもならへんのやろね。
お目当ての光堂は、コンクリートの中に保存されてる。
これでは、栄耀栄華はわかるけど、風情はわからへん。
たぶん、こんな感じで金色やったんかな?
芭蕉の想いに敬意を表して。
さて、こんな絵を描いてみた。
なかなか、俳諧の心は難しい。
10号サイズ。紙本45.5x53cm
次は、「尿前の関」
本文は、平泉のあといきなり「尿前の関」となる。
南部道遥にみやりて、岩手の里に泊る。小黒崎・みづの小島を過ぎて、なるごの湯より尿前の関にかかりて、出羽国に越えんとす。此道旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関をこす。大山をのぼって日既に暮れければ、封人の家を見かけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。
蚤虱馬の尿する枕もと
芭蕉さんはえらい目に遭わはったらしい。
わしは、別の冬に、銀山温泉や鳴子温泉を巡ったことがある。その時に尿前の関にも行ってみたけど、確かに昔の関所のあった跡に建物は記念館みたいにして、あったけど、雪に埋もれてしまってた。
鳴子温泉のあたりの景色はとてもよかったけど、
残念ながら尿前の関あたりは絵になりそうもない。
芭蕉の旅の難儀を思いやりつつ、描いてみた。
10号サイズ。紙本45.5x53cm
はてさて、こんな感じでどうなることやら、
これから、まだ先は長い。のらりくらりと描いて行こう。
よかったら、ご覧下さい。