大阪、池田、逸翁美術館、「蕪村 時を旅する」へ行った。

大阪、池田、逸翁美術館、「蕪村 時を旅する」へ行った。

阪急電車のタレ広告を見てたら、逸翁美術館、「蕪村 時を旅する」というのがあった。
これは大変だ。いかねばらなぬ。
わしは、与謝蕪村が大好きなのだ。
好きが高じて、蕪村が暮らしていたという丹後あたりにある江西寺というところに
行ったことがある。北近畿タンゴ鉄道、岩滝駅の近くにあるごく普通のお寺だ。
ここに蕪村の屏風絵があるというんで訪ねてみたのだ。確かに絵はあったけど、今は
管理ができへんので拝観はしていないということだった。でもとても気の良い御住職で
わざわざ遠くから来たんやったら見て行きなさいと言われて、納戸の中にしまっていたやつを
見さしてくれた。「風竹図屏風」強い風に吹かれて靡く竹と岩だけを、ただそれだけを
銀地にさらっと描いたやつ。
簡潔で力強い、それでいて気品がある。とても味わいのある屏風であった。
それにしても、もしかしたら、国宝、重文級かもしれんような名画を無造作に納戸の片隅に
おいておくなんて。あるいは、素性もしれんわしらのような旅人に無造作にみせてくれるなんて。
なんて運が良かったんやろ。
京都の旧花街、角屋に残る絵も見に行ったことがある。蕪村が艶分を流したらしき迹だ。
ここでは、入館料が必要だ。しかも自由には見られへん。ガイドさんが案内してくれて、
その人のペースで全てを見ていく。絵だけ見たいと言ってもそれは通らへん。
なかなか厳しい。
それにしても、蕪村ってマルチな芸術家ではないか。
絵だけではなくて俳句もいいし、不定形詩もいい。書もとても良い。
あの時代の空気なんかも知れんけど、文人としても風格がある。
題材の取り方や、表現の裏にある古典の知識や教養が、密かに伺いしれるところが
狙い通りで好ましい。
池大雅みたいに誰もが認める高雅な文人と当時は世間にもてはやされなくても、
時代がたてば、今となっては誰にもわかるのだ。
見て回りながらこう思った。
「やっぱり上手いなあ」

サラッと描いてるようで基本がゆるぎない。
きちんと丁寧なようで、軽妙で洒脱でもある。
ええですなあ。
そして、どこかに、孤独と寂寥もただよっている。
そして、今回特に思ったのは、どれもとても良い紙を使ってる。
弟子たちが、奔走して資金を集めて、紙や画材を整えていたそうやけど、
なるほどなあ。
女性関係も自由奔放やったみたいやけど、絵はとても品が良い。
やっぱり、芭蕉の「奥の細道」旅日記を描いた絵がとても良い。

分割展示やったけど、こないだの雪舟の山水長巻みたいに一気に全部見たかったなあ。
他の絵も画讃が印象的だった。字がうまいのはもちろんなんやけど、引用出典が
知性の深さを思わせる。ドヤ顔が目にうかぶ。
中には、現代抽象画とも言えるような作品もあった。
とても自由な感性の持ち主やったんやろと思う。
だから、「春風馬堤曲」のような素晴らしい自由詩が生まれたんや。
なるほど。
とても良い。
最後の呉春の、「白梅図屏風」が展示されていた。
これって、芭蕉布を画布にして描いてるみたい。
知らんかった。こんなことできるんや。
いやあ、とても良い展示会であった。

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ありがとうございました。