最近読んだ本、「明日はいずこの空の下」、「冬雷」

  • 2018年6月18日
  • 3人

上橋菜穂子、「明日はいずこの空の下」
大分前にオーストラリアのダーウィンに行ったことがある。偶々、友人の知り合いの
ダーウィンの芸術家たちとグループ展をやるということになって数日滞在したのだ。
その時に、アボリジニの人たちと出会うことができた。というても彼らの文化と
何らかの触れ合いができたというようなええ話ではなくて、唯のとおりすがりに
接触が有った程度だ。
例えば、グループ展の会場にいきなり現れたアポリジニの人が、わけのわからん
ことを大きな声でわめきはじめてわからんなりに聞いてたら、酒を卸すから買えと
言うことらしい。意味がわからず話が噛み合わず時間だけが過ぎていった。
例えば、街角で酩酊してあるきながら小銭をせびる人もいた。
例えば、わしらが泊まってた安宿の1階全部に何かの優遇措置なのか宿泊して
わいわいしてるひとたちがいた。
例えば、ある書店の2階に上がると、ものすごく独特で、繊細な絵を描いて
売ってはる人がいた。
ここで何かを語るほどのものを見聞きしたわけでも知識があるわけでもないけど
彼らは、迫害されているというよりは一定の保護を受けて暮らしてはいるけど
それは必ずしもかれらの自立を助けるものにはなってなくて、その根底には
考え方の違い、価値観の違いと簡単に決めつけられない、お互いの尺度で
計ることのできないモヤモヤの存在が彼らの暮らしをモヤモヤにしてるようでも
あるようだ。
この本の著者は長年アポリジニの研究に携わって来られた方だそうなんで、
このエッセイでは旅の話以外にそういう話が出てきたらええなあと思いつつ
よんだけどあんまり突っ込んで触れられたところはなかったようだ。
子どもの好奇心のまま大人になったような素直な感性で綴られる旅の話は
とても読み心地が良い。わしが普段好むような旅のハラハラドキドキの
エキサイティングな話とは違って穏やかでゆるりとした旅と食事の話、
人の暮らしのことどもが人柄とともに浮かび上がってるようだ。

遠田潤子、「冬雷」
悲しい話だ。
夏目代助はある日施設からもらわれてきた。ある旧家の後を継ぐ人間として
その家の役割を果たす後継者としてのためだけにもらわれてきたのだ。
その千田家が主催する鷹櫛神社の鷹野祭祀を取り仕切るのが代々の仕事なのだ。
金持ちの跡取りやから楽に暮らせるかもしれん。
幸せな一生を送れるかもしれん。
果たしてそうなのか?
夏目代助とは夏目漱石の「それから」からとられた名前だと言う。それは
これからのあまり明るくない運命を暗示しているのではなかろうか?
果たして、千田家に実子が生まれた。そうなると貰い子の運命は明らかだ。
そこから運命が暗転する。
いやそれなら心を寄せる神社の巫女、真琴と結ばれる可能性が出てきたのでは
ないか?
まんざら悪いことばかりではない。
しかし、代助を執拗に慕う三森愛美がいる。
義父との亀裂、義母の戸惑い。
そんな中で事件は起こる。
果たして真犯人は誰なのか?
代助の恋はどうなるのか? 愛美の想いは叶うのか?
だんだんと知られざる事実が明らかになっていく。
それは驚愕の真相なのか?
鷹は村を救えるのか?
代助はどうなる?
真琴はどうなる?
とても面白い。

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