最近、ウォーキングをしていると燕が目につく。
そういう季節なのだ。
ある家の軒下には巣がある。必ず同じ処にくるから同じ巣が使われるのだ。
時々空いた巣があるから、そこで育った燕は旅の途中で死んでしまったのかもしれない。
しかし良く考えると不思議だ。子供は一匹ではない。何匹か、巣の中でぴよぴよ鳴いている。
これが巣立って、飛ぶ練習をして、時期が来たら、親と一緒に遥か遠くの国に飛んで行く。
そしてまた来年帰ってくる。
ロマンチックな話だ。
と、ちょっと疑問がわいた。
この巣に帰ってくるのは、親なのか、子供なのか、それとも全然別の燕なのか?
親だったら、子供はどこに行くのか、空いた巣を探す?
空いた巣があるとは限らない。
新しい巣をつくる?
既製の巣があるのと、新しい巣をつくるのは大違いだ。
作り方が分かる?
材料がある?
どうも最近、燕の数は増えているようだが、全体として可不足はないのか?
燕の住宅事情は謎だ。
それがわかっても何にもならない。
下らない事を考えながら画を描いた。
陸遊の詩を読んでいたら、燕の事を謳った詩があったからだ。
桐陰 清潤なり 雨余の天
簷鐸(エンタク) 風に揺れて 昼眠りを破る
夢に画堂に到りて 人見えず
一双の軽燕 筝弦を蹴る
岩波文庫、「陸遊詩選」一海知義編より
桐の葉影で昼寝をしていたら、風鈴がちりりんと鳴って目が覚めた。
何かと思って、見たら、燕が琴で遊んでいた。