ある日、ウォーキングをしているとき、頭の上が騒がしかった。
ピーピーとかギャっとかバタバタとか言う音だ。何やろと上を見ると、燕の親
が子どもに餌を運んで来たのだった。
巣には3羽の子ども燕がいて、口をいっぱいいっぱいに拡げるだけ拡げて、親
が餌を入れてくれるのをキャーキャー言いながら待っている。見てるだけで、
胸がきゅんとなるではないか。
巣の奥には前年の巣が見える。同じ所に来るという習性があるらしいけど、同
じ巣は使わないんやろか?
いつもこの季節になるとこの風景を見てうれしくなる。
遙か遠くからやってきて子どもを産んで、育てて、遙か遠くに旅をするのだ。
壮大な話ではないか。
そう言えば、こないだ4月にネパールに旅行に行った時に、ポカラから数時間か
けてルンビニまで車で移動した。その時の峠越えで休憩した峠の茶屋みたいな
ところに燕が居た。
日本と同じ種類かどうかはわからんし、季節も違うようやけどやっぱり燕が来
るんやと嬉しかった。
室内なんで下に糞を垂らさんようちゃんと受けてある。
ここの燕はどこから来るんやろ。そして何処に行くんやろって思た時、日本の
燕もどこから来てどこへ行くんかさっぱり知らんということに気がついた。
ネットで見たら、マレーシアやオーストラリアなど南方との間を回遊してるみ
たいだ。してみるとネパールのとは回遊エリアが違いそうだ。
このあたりはあの地震でどうなってしまったんやろう。
心が痛む。
無事を祈るばかりだ。
もう一つ心が痛む事を想い出した。
やっぱりウォーキングをしているとき、子ども達が群がって騒いでいる時があ
った。歩きに集中してたんであんまり気にせんと通り過ぎた。ちょっと歩いて
気がついた。
あの子ら燕の巣をつついてたんとちゃうやろか。棒きれかなんかで上の方を突
いてた様な気がする。こりゃあかんは注意せんとあかん。と振り返るが、もう
いてへん。しまったなあと心が痛む。
あそこにいた燕はもう巣作りを出来へんやろと思う。どっかへ移動するか、も
しかしたらもう生活を続けられへんかもしれん。ちょっとしたいたずらがそん
な事を引き起こすんやと言う事をちゃんと教えとかんとあかんかった。
心のどっかに面倒を避ける気持ちが働いたんやと思う。
きちんと発言せなあかんときにそれが出来へんで、あとでうじうじと思い悩む
事も多い。おのれの行いは常日頃、気を張って注意しとかなあかんと反省した
次第だ。
もうじき、梅雨が終わるやろか。
雨の日が多い。
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ありがとうございました。