キャサリン・ゴヴィエ、「北斎と応為 上、下」
手元に「北斎漫画」という本がある。900ページ以上ある、恐ろしく分厚い本だ。
元々、15冊仕立ての和綴じ本だったのをまとめたやつだ。その中にはびっしり、
漫画絵というか、ありとあらゆる見本絵が描かれている。
山や川だったり、家だったり、木や草花だったり、鳥や動物、虫、人間、ありと
あらゆるモノが描かれている。それだけでなくて、それぞれの動きも描き分けら
れていてとても面白い。街の中を徘徊する物売りの姿だったり、風呂場の風景だ
ったり、この時代の風物や生活風俗、考え方等々、なんでもが目に浮かぶように
描き分けられているのだ。
これさえあれば、どんな絵を書くときも、素材に困らへんやろと思う。
こういうものをたった一人で造ることなんて出来たんやろかと不思議に思っていた。
画狂老人と自らを称して、画道に狂い、生涯3万点ほどの絵を残し、90歳くらいま
で生きた。ヨーロッパの印象派の画家たちに強烈な影響を与えた天才画家だ。
しかし、その陰に娘の応為という存在があったらしい。
「おーい」って呼んでたから「応為」ってつけたというふざけた名前のつけられ
方をした娘が実は、北斎に並ぶ技量の持ち主であったらしく、北斎の作品と言わ
れているうちの何点かは彼女の作品と言われてもいるらしい。
その応為に焦点をあてて、北斎と娘の暮らし、北斎の工房の姿が立ち上がって
くる。
父と娘の確執。曲輪に入り浸る父、ついていく娘。
工房はやったらかしで片付ける人がいない。身動きできなくなったら引っ越しだ。
なんて暮らしを描くのは、何とカナダ人らしい。
すごいなあ。北斎と日本人の事を驚くほど詳しく調べてあるらしい。
江戸の暮らしが生き生きと描かれている。
とても外人とは思えない。
しかし、何か微妙に違和感がある。どっか違うと思うところが多い。
話の運びとかは抜群にうまいと思うのに、言葉の使いかたや、感情の表現のし
かたみたいなところに何かわからんへんけど違和感を感じてしまうのだ。
多分、これって外国人やからという事ではないと思う。
個性の問題か翻訳の問題なんやろか?
わしの読み込みが浅はかなんかも知れん。
面白いのに違和感を感じるという変な感想を持った本だった。
シーボルトの登場もちょっと違うんちゃうやろかって思いながら読んだ。
しかし、北斎はやっぱりすごい。
改めて感動した。
娘もやっぱりすごかったんやと思う。
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ありがとうございました。