内田百閒、「東京焼盡 」
すばらしい。
百閒の独特の律儀で真面目そうでユーモアあふれる文体が日記でも光ってる。
戦争が終わる2年程前から終戦直後までの東京空襲の日々の暮らしを毎日綴っ
た日記である。
夜明けまで毎晩、毎晩空襲警報が鳴ったら防空壕に非難して、少しだけまどろ
んで、又警報におびえながら毎日会社に出かけていく。
ひりひりするような緊張の日々だ。
日々の食い物はどんどん切迫していく。なくなったら知り合いから借りながら、
その日、その日をつなぐ、それでもなくなったら我慢するしかない。あるもの
をすこしずつ工夫しながら食べる。時には知り合いが持ってきてくれる。
ひもじく情けない日々だ。
大好きな酒も碌に飲めるはずがない。たまに手に入るビールをありがたく頂く。
ワインやウイスキーを頂くときもある。代用酒でもかまわない。
アルコールに飢える日々だ。
そういう毎日を克明に綴っていて、戦争の悲惨さや理不尽さが伝わってくる中
に独特の淡々とした文体がかえって小説を読むように推進力があってどんどん
読み進んでしまう。
やっぱり戦争は絶対したらあかんと思う。
阿部牧朗、「大阪をつくった男」
大阪商工会議所ビルに五代友厚と言う人の銅像が立っているのは何となく知っ
ていた。しかし、唯の経済人やと思てたらえらい違いやった。
幕末の薩摩藩の出身で、島津斉彬の開国し対外貿易を通じて富国強兵を果たす
という考えに心酔し船舶や武器の買い付けに奔走する。そしてついに英国留学
を果たし、海外に通用する経済面の識見を身につける。
尊王攘夷、倒幕の嵐のなかで、違う道を歩もうとするが理解されず、厳しい視
線を浴びる。この頃の五代の活動は、坂本竜馬や勝海舟、高杉晋作等々、蒼々
たる幕末の志士達と交錯して遜色無い。えらいすごい人がおったんやなあって
驚いた。大阪の造幣局作ったのもこのひとやし、紡績業始めたんもこの人やし
金融や経済もこの人のおかげやったみたい。
大阪は食いもんの街やし商売の街って言われてる。
上方文化の伝統やという。
そやけど、よそから来た人が根底から助けてくれたという事もよう知っとかな
あかんのだ。
翻って今を見てみると、人材不足なんやなあ。
いやな人やけど、ええとこもある。そやけど一回何か変えちゅうんやったらこ
の人しかおらへんのやろなあって思てた人も、自滅しそうになったら、皆によ
ってたかって引き摺り下ろされてるみたい。
変な世の中。
多分、五代友厚が今の世の中にいたら、きっと何もできてへんかったかもしれ
んと思う。
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ありがとうございました。