安部龍太郎、「等伯、上、下」
大分前に、日経新聞に連載されて話題になってた本だ。
もうそろそろ世間の熱も醒めた頃かなと思い、読んでみることにした。
わしも水墨画を勉強してるから等伯の話は非常に興味がある。
それに以前、萩耿介と言う人の「松林図屏風」と言う本を読んだのがきっかけで
神護寺に紅葉を見に行ったり、タイミングよく開催された長谷川等伯展を見に
行った。
この本は更にスケールがでかい。単に画家とその画、その画にまつわる事件と
言うだけではなくて、まさに世は戦国時代の終わりごろ、武士の家系に生まれた
等伯はある時は武人としての姿を見せる。果敢に戦場近くまで出入りしたり、
武士と戦って貴人の子供を助けたり、お姫様もでてくれば、利休や秀吉など
など歴史上の有名人も大出演だ。波乱万丈、手に汗を握る活躍も出てくる。
ほんまかいなと思わんでもないけど、話としては大変面白い。
有名な狩野派との確執も殆ど戦いの様相を呈している。
まあ、話はおっきいほどおもしろい。
肝心の画については、どこの天才か超名人かというすさまじい持ち上げようだ。
一つ一つの画について確かにそういう面もあるんやろけど、そこまで凄いとは
思いがたい表現も多々あるような気がする。
比嘉康雄、「日本人の魂の原郷、沖縄久高島」
以前みた映画、「スケッチ・オブ・ミャーク」と良く似た世界だ。
海の民の神は母性に宿るらしい。だから12年に一度の大祭「イザイホー」、で
神女が受け継がれ、神女を中心に女性達が豊漁や民の安全を願って祭祀を
行っている。長年、この行いを見続け、記録しつづけてきた作者は、唯一人、
男子禁制の「イザイホー」すら許される存在になった。
遥か太古から続いたであろうこの営みが消えて忘れ去られないよう、記録して
おくためなのだ。
文明とか進歩とか発展とかいうまやかしの言葉のなかで、日本のあちこちで、
失われていくものがあると思う。そういうものを失わないよう理解することも
大事やし、誰かが記録し、共通の記憶として残しておいてくれることもありが
たいことだと思う。
昔、芸術家、岡本太郎が、この島の「イザイホー」の現場に男子禁制であるにも
かかわらず入り込み、更に風葬の場にまで入って棺をあばき写真を撮って公表
したらしい。
こんなのは文化の記憶の行為には入らない。死者と祭祀に対して、海の民の
なりわいに対しての敬意を忘れた最低最悪の行為だと思う。
「沖縄文化論 忘れられた日本」には彼らしい鋭い感性で沖縄の原風景を捉え
ているようではあるけれど、芸術のためには何をしてもいいわけではないと
思う。
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ありがとうございました。