中島敦、「李陵」
いか程の厚さもない文庫本で、しかも短編集。あっという間に読了かと思っていたら、
手痛く圧倒されてしまった。
ここに描かれた男たちの独立不羈、不撓不屈の生き様がまざまざと立ち上がってくる。
難解な漢語の羅列、しかし良く考えてみると、この場面を明確に表すにはこの言葉しか
ないと分かってくる。
力とリズム、透明感。こういうものが不足なく緩みなく打ち込まれている。
読み終えた時の疲労感が心地よい。
そういう本だ。
山月記
世に容れられない才をもてあまし、狂ったあげく畜生に落ちてしまった男。
それでも猶、人の心を持っていたいのか。
名人伝
究極の名人とは何なのか、己が名人であることすら忘れる程の境地なのだ。
見えざる弓で見えざる矢を打つと、獲物が落ちる。
その先は。
弟子
孔子と子路。
異端の弟子の痛快な生き様。孔子という男いったい何者だったのだろう。
李陵
将軍李陵が敵に捕らえられた。
節を曲げて屈するのか。
派遣した武帝は怒って、一族を惨殺してしまう。かばった司馬遷(史記の作者)は
宮刑に処せられてしまった。
有名な話だ。
ポール・セロー、「ワールズ・エンド(世界の果て)」
旅行記の名人、ポール・セローの連作短編集だ。
舞台は世界のどこか。しかし旅の話ではない。
異郷にいて、安住や安らぎのない暮らし。心はどこに?
満たされない、癒されない男と女。
「暗闇の中で目覚めた・・・音がする・・・泥棒ではない
・・・女が出て行く音だ・・・」
「去るのは実に簡単な事だった・・・・今では俺もそのやり方がわかった・・・
・・・音もなく歩き去り・・・・そのままずっと歩きつづければいいのだ・・・」
「やっと女とおさらばできた。・・・・そして旅に出る・・・行きずりのドライブイン
・・・「俺と逃げよう」・・・女は来るか?・・・来た・・・
その結果は?・・・」
いろいろと考えさせられる。
毎週火曜は最近夢中で読んだ本の話です。