九度山暮らしのある日、おじいちゃんの50回忌、喪服など。

おじいちゃんの50回忌、喪服など。
先日、親戚のある家から法事に招待された。3回忌や7回忌なんてよく聞くやつやなくて
50回忌というすごいやつだ。小さい頃母親の実家に行ったら大事にしてくれた
お爺ちゃんとお婆ちゃんの法要ということだ。想えば懐かしいなあ。爺さんがお爺ちゃんの
話をするとはるか昭和の昔の話になってしまう。
小学校低学年の頃、夏休みになるとその頃住んでいた和歌山県の御坊市あたりから
母親の実家がある貴志川町まで1人で電車に乗っていった。行ったところで年寄りの
暮らす家屋から友達があるわけでもないけど2つほど年上の従兄弟も同じ頃来てる
ことがおおくて一緒に遊んでもらった思い出がある。その頃の子供の遊びは実に単純だ。
家の周りは畑や田圃ばっかり、その畦道を縫って走り回るだけ、畑にある、ナスやキュウリや
トマトはもいで食べたらそのまま食べても美味しいというのを教えられた。
田んぼの畦やそれにつながる小川には小魚がいっぱいいてるし、ザリガニやカエルも
いてる。従兄弟は平気で捕まえて遊んでるけどわしはオロオロと後ろにいてるだけ、
特に蛇なんかでてくるととても怖かった。
従兄弟は大柄で喧嘩も強かったせいか近所の子供たちとも仲良くなって、一緒に混ぜて
もらってくっついて遊んでたらそれで一日は終わって、退屈することもなかった。
毎日がそんなふうに終わって、家に帰ったらお婆ちゃんが竃さんでお芋をふかして
くれたりしてオヤツがあった。お婆ちゃんはどこまでも優しくて、何時見ても畑で
働いてたけど、お爺ちゃんはわしら孫には優しいもののけっこう厳しい人でもあったらしい。
わしの知るかぎり日がな新聞を読んだり株式のラジオ放送を聞いてたり本を読んだり
してるだけやったけど夫婦二人で7人の子供を育てたんやからすごいもんだ。
そんなこんなを思い出しながらその家に着いた。昔とはもう変わってしまってる。
玄関横の牛小屋も今はない。家裏の蔵も納戸もない。すっかり今風のお家だ。
そして皆さん、正装してはる。
わっ間違えたか? わしは普通のブレザー姿。わしは、50回忌ともなれば、それだけの
時を経て親族一同の無事を祝える楽しい集まり、お爺ちゃんお婆ちゃんの思い出話に
花を咲かせて和気あいあいなんて思ってたのが、えらい失礼をしてしまった。
喪服を着てないのはわし1人、完全に浮いてしまってる。
今の日本の暮らしって、ハレやケの行事の服装コードってあんまりきちんとした
決まりはないんとちゃうやろか? なんて勝手に考えてたわしが馬鹿だった。
世間の人は皆さん、黒の礼服に白黒のネクタイを使い分けてはる。
心改めんとあかんのやろか?
わしはわし流で行きたい、のは失礼か?
てなことを恥じらいつつお寺にいってお参りをして、家で読経も済ませて、
会食の宴へ。
ここも懐かしい大池遊園。

まだ桜の残る頃、桜並木の中を電車が通る。
なつかしい、この電車にのって行ったんやった。今では貴志駅に猫の駅長さんがいて
中国人の旅行者に大人気なのだそうだ。
と言っても思い出話に花は咲かなくて、どんどん爺さん婆さんは少なってなってしまって、
いつしか親戚同士の四方山話。

美味しいお料理があればそれはそれで楽しく過ぎていく。
それにしても最近は会うと言えば不幸事か法事しかない。
さて次はどんな服装で行くことやら。

ブログランキングに参加しています。もしよかったらポチンとお願い致します。
にほんブログ村 旅行ブログ アジア旅行へ
にほんブログ村

ありがとうございました。