宮参りに行った

年末に赤子の宮参りというのに行った。実はわしにも孫ができて本当の爺さん
になったのだ。で、我が子の宮参りとかいうのはもうはるか昔、ころっと忘れ
てしまったけど、孫のを見てるうちにいろいろ思い出した。
生まれてしばらくは神事がある。宮参りやお食い初め、初節句、七五三等々。
別にどうでもええやんて思うけど、わしらの時はまわりの爺さん婆さんが結構
いろいろうるさかった。爺さんになってみてもどうでもええやんって思うけど
やっぱり若い人もやめてしまう勇気がないのか、意外と積極的にやりたいと思
ってるふしもある。次の世代にこういう風習が伝わっていくのはいいことやな
と思う反面、できるだけ無駄なお金を使わん風潮であってほしいと思う。
ご祈祷料はともかく、服装に結構お金をつかうのではなかろうか?
この時の着物が、子どもの成長に従って、直しれながら使い続けていくような
もんやったらそれなりに意味があるんやけど、2、3度使ってそれっきりやっ
たらあまりにももったいないんとちゃうやろか?
それなりにレンタルとか親のやつとか手はあるんかもしれんけど、新生児、新
しいのというのに意味をもたせすぎとちゃうやろか?
風習なんて作られるもんやと思う。例えば、長生きした人の服を新生児にかけ
て長寿をつなぐ意味にするとか、新しいものより、使われてきたものの方がえ
えとかそんな風習を考えてもええんとちゃうやろか?
誰かの金儲けにつながるようになってる風習から逃げられへんのも困りものだ。
きっと根拠は薄いはずやのに。
我が子の無病息災を願う風習はええと思う。
無理にお金がかかるような仕組みは改めていったほうがええと思う。
わしが嘆いてもどうにもならんけど。
で、泣きわめく赤子がいるし、寝てるだけの赤子もいる。
家内安全、交通安全、○○歳のお祝い等々、暮れの神社は結構賑わっていた。

miya160102

でその後は写真撮影。
なるほどこういう形で、デジカメ全盛時代でも写真館というのが生き残ってる
んかと感心した。
さすがプロ、映すのが目茶美味い。あたりまえやけどすごい。
赤子であっても寝たままとってしまうなんてしない。もし寝てたら足の裏を、
コチョコチョして起こすし、鳴いたらあやす。あっち向いたらこっちに気持ち
さそい、あのてこの手で一番いいショットを作る。
できた写真も素人のデジカメ写真とは比べようもない。
さすが、これぞプロやね。
それが必要かどうかは別にして、プロのすご技にそれなりのお金を払うのは
納得できるところだ。
それにしても、デジカメ時代に写真館の生き残りも大変やと思った。
なんだかんだで結構一日振り回されることになった。
やれやれ疲れた。

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ありがとうございました。