インド、ダージリン、シッキム遊-34、チベット難民センター

今からチベット難民センターに行くと言う。車は来た方向から少しずれて山道
を南東に走る。細い地道の峠道を走ってたら突然車が停まった。
ガイドさんが、「あれ見てください」と言う。
車を降りて正面を見ると、雲の向こうに真っ白い雪山が見える。
「カンチェンジェンがですよ。」と言う。

朝、タイガーヒルまで行ったけど見れなかった景色が今見えているのだ。
シッキムに入ってからずっと見てきたけどやっぱり美しい。
しばらく見入っていたが、そのうち雲に隠れてしまった。北側が開けた小高い
所にいたらどこにいてもヒマラヤが見えると言う土地柄なのだ。うらやましい。
そこからしばらくいくとチベット難民センターに着く。

空はすっかり晴れてしまったが、谷間には山霧がでていい感じだ。
難民センターと言っても今はもうその機能は停止しているのだそうだ。
難民はいない。
見れるのはその時の支援プログラムで始まった、織物などの工芸工房だ。
ミシン使ってる人もいるし、
織物織ってる人もいる。

できたものを検査してる人もいる。

何故か皆さんいい顔をしてる。
ここで聞いたわけではないけどチベット難民はまだまだ年間数千人ほどが国境
を越え続けているのだそうだ。直接インドに来るのは道が険しすぎると言うの
で、ネパールを経由するのが普通なのだそうだ。そこで国連難民高等弁務官事
務所(UNHCR)で受け入れられて、うまくいけばインドに送られる。うまくい
かなければ中国に強制送還されるのだそうだ。どうなるかは中国とアメリカと
ネパールとインドの国際的な政治の力学に大きく影響されるのだそうだ。
先日、緒方貞子さんがUNHCRで活躍された人生をドキュメンタリにしたテレビ
番組を見て感動したけど、ネパールでもそう人たちが人権と政治の狭間で苦労
されているのだろう。地続きの国境を持たない我々にはもひとつ実感できない
話なんやけど、人道を優先してこういう仕組みが回っていくよう心から願いた
いと思った。

一旦ダージリンの市街に戻って、再びバザールに行く。
ちょっと面白い骨董屋さんがあった。

いろいろ冷やかしながら見ていると、銀のティポットがあったのだ。アラジン
の魔法のランプみたいな形をしてる。どうも本物に見える。わしの鑑定眼なん
てええかげんなもんやけど、表面の彫刻も素晴らしいし、ずしりとした重さも
ある。唯のメッキもんとはどうしても思えない。
値段を聞くと、日本円にして15万円と言う。
値段からすると本物ぽい。しかし現金は持ち合わせてない。ここでカード使う?
やっぱりちょっと悩ましい。大丈夫やろけどねえ。
いや、あきらめよう。
未練がましく、写真撮っといたらよかったなあとか思う。
ダージリンの街の建物ってイギリス風のが目立つ。

さっきのポットもイギリス統治時代のモンなんかなあ。


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