九度山暮らしのある日、手術後11ヶ月たった、或いはコロナ怖生活−40、夏野菜は体に良い。

夏野菜は体に良い。

胃の手術を受けてほぼ11ヶ月、もうすぐ1年になる。感慨深い。
特に何か努力はせんかったけど、わりとビクビクしながら生きてきた。再発はほぼ
なさそうやけどそれはわからん、リスクは0ではない。
どこかが特に悪くなっていってるわけでもない。体重は減ったけど。
これはウォーキングしてるせいもある。消化機能は相変わらず。
能力半分状態から一進一退。調子ええなあと思う日もあれば、お腹を下してばかりの
日もある。よく噛んで少しずつとは思えども、やっぱり卑しい口の早食いは治らへん。
沢山食ったらあかんとわかってはいても、美味しいもんやとつい食ってしまう。
程々を体が覚えるのがいまだに難しいようだ。
少しずつ痛い目にあいながら体を慣らして行くしかない。
それは、それとしてコロナのストレスもある。折角体が回復してもコロナにかかって
重症になったら何もならん。しかも、基礎疾患のある人は気をつけろという。
基礎疾患って何やって言うたら、癌の治療や手術も関係あるらしい。
わしの場合は抗がん剤治療は何もやってない。スパッと切っただけだ。その後も何も
治療行為はしてない。それでもリスクがあるんやろか?
そこがわからんとこなのだ。
手術という行為だけで免疫が落ちるという。けどもう1年くらい経ってるで。
胃癌になったことがあるということでも免疫が落ちるのか?
なんかとてもモヤモヤする。
コロナがそばにきただけでえらいことになると言わんばかりではないか。
マスコミにこんなにあおられたら不安になるばっかり。
いろいろ我慢して気をつけるけど、とりあえず、消化力少ないながら食うのも頑張って
基礎体力を養わんとあかん。
こないだは果物をいっぱい買った。
また別の時、野菜をいっぱい買った。
夏の果物も力あるけど、夏の野菜も力がある。
つい絵に描きたくなる。

夏は夏野菜。
秋は秋野菜、冬野菜もいいし、春野菜もいい。

街に出ることもままならん暮らしやったら昔の聖人君子の隠遁生活と変わらへん。
例えば陶淵明のこんな詩がある。
帰田園居五首(其三)
種豆南山下  豆を種う南山の下
草盛豆苗稀  草盛んにして豆苗稀なり
晨興理荒穢  晨(あした)に興(お)きて荒穢(こうわい)を理(おさ)め
帶月荷鋤歸  月を帶び鋤を荷って歸る
道狹草木長  道狹くして草木長び
夕露沾我衣  夕露我が衣を沾(ぬ)らす
衣沾不足惜  衣の霑るるは惜むに足らず
但使願無違  但だ願ひをして違ふこと無から使めよ
::岩波文庫 「陶淵明」より
永遠の名詩ではないか。
コロナ暮らしに身に沁みる。

なかなか悟りはひらかれへんけど、ある意味似たような暮らしではないか。
最後はこうなんやね。
人生似幻化  人生幻化に似て
終當歸空無  終に當に空無に歸すべし
そうやとしてもコロナ如きで無に帰えりたくない。
コロナよ去れ。

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ありがとうございました。