最近読んだ本、「台湾語で歌え日本の歌」、「空海の風景、上、下」

  • 2020年9月3日
  • 2人

陳明仁、「台湾語で歌え日本の歌」。

台湾では、台湾語が話されてるとは限らへんというのは何となくわかってたけど
詳しい事情はよくわかってない。中国の普通語が通じると言うのはありがたいとは
おもってたけどそれはわしの勝手な都合であって、今はもう殆ど錆びついてるけど
ちょっとだけ勉強してゆっくりの普通語なら喋れるようになっていたからだ。
しかし、複雑なお国の事情は、複雑ということだけがわかってて、詳しいことは
わからんけど、台湾語と言われる言葉が標準語でなかったりするらしい。
中国語であっても英語であっても、日本語であっても台湾の人たちはとても優しく
接してくれてとても旅をしていいてもとても居心地はええけど、台湾語で自由に
暮らしていかれへんのは忸怩たる思いの人も多いのかもしれん。
この本は、台湾語で書かれてるということだ。敢えてそういう表現をせんとあかんのは
台湾語であれば出版も難しいということなんやろか?
悲しいことだ。
舞台は地方の村。時代は多分、日本統治が終わり、国民党の統治が始まった頃の話と
思われる。
昔からのしきたりに縛られながら暮らす人達。
そこから抜け出したい若者たち。貧しくても明るく生きる人たち。
貧しさと虚しさに心折れるひとたち。長閑なヤクザ、結構相談のおばちゃん。
様々な生き様がある。
そして事件が。
228の嵐は田舎にも及ぶのか?
宝くじ
ヤクザの松さん
十姉妹事件
228事件
アーツン
殺人事件
青春譜
菜の花
などなど
ほんのりビターでほんのりあたたかい。時には暑く、時には悲しく。
とても面白い。

司馬遼太郎、「空海の風景、上、下」

九度山暮らしを始めてみると高野山が身近になる。なんせ、すぐ麓にあるんやからどうしても
そうなる。そして空海が、弘法大師が身近になる。なんせ、お膝元なんやからどうしても
そうなる。
空海の偉業、遺蹟、実に様々なモノがあっちにもこっちにもある。
まだ生きてはるという噂さえあるほどだ。
なにせ、神様みたいな、いや神様やから?、元々人間やったとは思われへんほどだ。
それでも人間の時はどうやったのか、まさか勝手に知識と能力が身についたはずはない。
子どもの頃にすでに神がやどったか?
ここにきて少々興味が出てきた。
司馬遼太郎やったら幕末の志士の一緒を描くように、英雄の一生を描くように目の前に
立ち上がらせてくれるかもしれん。
大分前に、「空海の風景を行く」という本を読んだことがある。この時には「空海の風景」を
読んでなかったんで彼の人生との関連はわからへんかったけど、中国での軌跡がその頃
中国にたくさん旅行してたわしにとってはとても興味深かった。
今回の興味はまた違う。どうして、真言密教を欲しいと思ったのか?
どうして真言密教を手に入れることができたのか?
どうして中国に渡ることができる立場に立つことができたのか?
どうして、文章の天才、書の天才、語学の天才が生まれ得たのか?
どうして、一夜にして恵果から正当な後継者に使命されることができたのか?
深謀遠慮、駆け引きの冴、ただものではない。
とてもおもしろい。
想定外ともいえる人物像が浮かび上がってくるではないか。
もしかしたらやっぱりまだ生きてはる。
毎日ご飯を食べてはる。

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ありがとうございました。